小松美羽展から玉川八十八ヶ所霊場へサイクリング 2022/8/16

何やら今日も殺人的暑さで関東では49度を越すとか越さないとか。そんな中、昨日ネットで「玉川八十八ヶ所霊場」と「多摩八十八ヶ所霊場」という2つの札所巡りを発見した。前者は明治時代の初めは盛んだったようで、今の霊場は昭和に入って固まったようだ。後者は江戸時代には出来、多くの人に親しまれてきたようだ。前者は、多摩川沿いに、東京都の世田谷区、大田区、品川区、神奈川県の川崎市と横浜市にわたって札所(お寺)があるようだ。後者は、いわゆる東京の西部、多摩地区と呼ばれるところに散在する札所を巡ることになる。どちらもこの霊場巡りをきっかけに、まだ知らぬ地を知る事になる小旅(こたび)となるので、私は興味津々。

ということで、今回は「玉川八十八ヶ所霊場巡り」を自転車で回ろうと決意。お寺の周りにいろいろ発見して楽しもうと思う。と同時に今回、これも昨夜ネットで岡本太郎美術館で小松美羽展をやっていることを知り、まだリアルで見たことのない小松美羽さんの作品を見たくなり、まずは岡本太郎美術館へと自転車を走らせた。開館一番の朝9時半の予約を昨晩とってあるのだ。既に暑い。この先が思いやられる。「岡本太郎に挑む-霊性とマンダラ」が今回の小松美羽展のテーマのようだ。人に潜む原始的なものと自然・宇宙が持つ原初的なものが通底する所に自らをも繋げて、作品を紡ぎ出す点は2人とも原点が同じなんだろうと思う。前から三番目で美術館に入り、私は常設展は前に見ているのですっ飛ばし、小松美羽の企画展の始まりへと急いだ。誰も居ぬところで小松美羽の作品を見始めた。私の感想は、なんか、もっと彼女のパッションを感じたいと思った。でも、これは私の感性が感じ得ていないのかも知れない。理屈を超えたところで感じ取って、何かを表現する時って、作者は感じたものをやはり理屈(言葉)で一度は把握したくなるものなんだろうか? もしそうだとしたら、把握した後は、またその理屈から離れ、感性を研ぎ澄ませて作品を産まねばならないのだろう、大変なことだ作品を産むというのは。彼女の絵より、私は今回「山犬」として出展されていた犬の立体物シリーズ10点余りがとても面白く感じた。FRPで出来ているようだ。

小松美羽展を見て、いよいよ玉川八十八ヶ所霊場の1番札所へと向かった。一番札所は平間寺、いわゆる川崎大師だ。私は多摩川の土手を南下することにした。風を受ければ暑さもなんとかなるのではと思ったからだ。しかし、確かに今日は特に風が強かったがそれは温風、そして陽射しの厳しさ、いや暑かった。5キロ走っては水を飲み、塩分タブレットを口に含みながら走った。土手沿いにある野球場、サッカー場もいつもなら夏休みでいっぱいのはずだが、今日は空きが目立つ。川崎駅のそばから川沿いを離れ、下の道を川崎大師に向かって走った。川崎大師横の大師公園に入った。こんな公園があるなんて、昔、寺には何度も来ていたが知らなかった。野球場、テニスコート、プールもあり、水辺のある広場もあり、とても大きな公園だ。水辺には多くの人が涼んでいた。お寺に入った。これまで休みの日以外に来たことがなく、ごった返す光景しか知らず、平日のがらんとした静かな寺の様子には驚きだ。門前のお土産さんも半分以上は閉まっており、人もあまり歩いていない。お寺で、作法を済ませ、御朱印をいただいた。御朱印帳はなく、表紙と紐を買い、御朱印は既に書かれた紙をいただき、自分で紐で綴じていくという塩梅のようだ。この後、門前の土産物屋で名物のとんとこ飴を買い、2番目の札所、真観寺へと向かった。川崎大使からは川崎駅の方に向かって少しズレた感じで自転車を15分ほど走らせた。Googleマップの案内で走った。住宅街の真ん中、公園の向かいにあった。正門は閉まっているので休みかも知れない。住職さんの家らしきところに通じる横から寺に入った。ロウソク、線香を立てるところが外にはなかったので、本堂の仏様を拝み、さてどうしたものだとベンチに座っていたら、家のドアが開く音した。現れた人に御朱印の話をすると、どうぞお待ち下さい、と。なんだ、やっているのか。御朱印の紙をいただき、話を聞くと、正門は土日の法事のある時しか開けないとのこと。今時な話だ。大師道、南武沿線道路と家路についた。5時間ぐらい自転車を走らせているとお尻が痛い。歳のせいかお尻の肉が落ちてきて、以前よりも早く痛く感じる。嫌だな、歳はとりたくない。が、この事実も早く受け入れていかねばならない、とほほほ。

暑さのためペットボトル4本、コンビニでアイスコーヒー、吉野家で水四杯という水分補給でした。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です