四国八十八ヶ所お遍路歩き旅 28日目 2022/6/6

今日は宇和の宿を出て、国道56号線をひたすら北に歩き、大洲を越え内子まで歩きます。約30キロの旅。

朝、昨日から続く雨の中、ポンチョを羽織って宿を出た。ほぼ平坦な道を歩く。7キロを超えたあたりから坂道になった。鳥坂峠を越えるのだ。2、3キロ歩いて峠を越え、この後は下りだ。下りが登った以上に長い。とても山深いところを下っている。あとで分かったのだが、大洲の町は標高ゼロメートル地帯で、登り以上にくだり、いわゆる盆地のような感じだ。毎年夏の時期、愛媛の最高気温で大洲の気温が紹介されるとのこと。6キロ以上は下ったと思う。途中、梨の販売所の看板があった。この辺りは梨が取れるのだ。愛媛はフルーツタウンと呼ばれている。みかん類は勿論のこと、梨、ぶどう、かき、もも、いちごなど多くの果物が栽培されている。途中、自転車お遍路さんが坂をゆっくり上がってきた。頑張って、と声を掛けると、頑張りましょうと返ってきた。このふたことで頑張れる、嬉しいものです。

肱川をわたり、大洲に入った。橋の上からは大洲城が見える。雨は上がった。見に行きたいが、あそこまでの行き帰りの労力は使えない。その後、56号線の道幅はいつの間にやら広くなり、直線で先まで伸びている。そして、驚くことに左右の道路脇には大きな店がずっと続いていた。地方の道とは思えない、遍路旅の情緒とは全く不似合いな絵だ。もうすぐに途切れるだろあと思いながら歩いていたが、これが途切れない。全メーカーの車の販売店、いくつもの巨大パチンコ店、いくつものドラッグストア、さまざまな地元と全国展開の外食チェーン店、マクドナルド、モスバーガーなどのファーストフード店、ユニクロ、ワークマンなどの衣料店、ニトリ、などなどキリがない。日本の有名店はもちろん地元の店などが通りの両側を途切れることなく続いているのだ。こんなところ、かつてどこにも見たことがない。4、5キロほど続いたように思う。店の見本市のような感じだ。道路の脇だけでなく、さらに一本入った道にも店は並び始めていて、終わることを知らない拡大だ。なんか遍路としては不似合いな気分で歩き、疲れてしまい、その道の最後の方で私もついマクドナルドに入ってしまった。ドライブスルーもありで、二階建ての大きなマック店だった。セットを頼み、一階の隅で静かに食べ、疲れを取った。何年か前に大雨で大洪水により、この辺り一帯は一階が全部浸水した、と後で宿のご主人に聞いた。それでも懲りず、進展しているようだ。ご主人曰く、ほとんどが土地を借りての展開らしく、昔は一面田んぼだったのが、今は農家が全て土地を貸して,こうなってるとのこと。大洲の5万人ほどの人口に対してこれだけの店、商売はどうなんだろう? 直ぐに終わると思っただけに、この絵、残念ながら写真を撮るのを忘れてしまった。

大洲を過ぎ、少しなだらかな登り坂もありながら内子に向かう。いつもだが、20キロを超えたあたりから脚は急に疲れ、これからの最後の10キロが大変だ。この辺りからJR予讃線が道路に沿って走っていた。内子の町に着いた。宿に入る前に足を伸ばして、道の駅「内子フラッシュパークからり」に行った。アイスクリームかコーヒーかと店の前で悩んでいると、地元のおばさんからアイスクリームを勧められた。アイスクリームを食べながらおばさん2人と話をした。そこにおばあさんがやってきて、お接待ということでお金をいただいた。そのおばさんも含め、4人で取り止めもない話をした。おばあさんは、お大師様の手のひらで生きとるから大丈夫と、昔、和霊神社で言われたとか。早くに親を亡くしたけどその言葉で救われ、元気に暮らされているようだ。

民宿シャロンに入り、食事はそこが経営している喫茶店で好きなものを食るようだ。私はトンカツを頼んだ。この辺りは昔、和ろうそくの木蝋生産で江戸時代から明治にかけて日本一の生産を誇り、とても町が栄えたという話をご主人から聞いた。石油によるロウソク作りが主流になり、一気に衰退したらしい。しかし、今もその伝統的な木蝋作りは、この地に残ってはいるようだ。ご主人がこの地に移り住むきっかけとなった仕事でこちらに滞在した時、宿泊していた部屋が小さい部屋だが、すべての部屋に床の間のある部屋だったそうだ。かつての女郎屋だったようなのです。聞くと270人もの女郎が昔はいたとのことで、どれだけ木蝋で町が栄えていたかが分かる。今は一万人とのこと。明日の道順を相談し、明日はかなり厳しい歩きになることを覚悟して眠りについた。

今日の走行距離は32138m、歩数は45920歩。大洲も内子も松山から40,50キロの通勤圏内でもあるのに驚き。

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