多摩川沿いを走り、グランマ・モーゼスの絵の世界に2022/2/11

多摩川の河の水はとてもきれい
二子玉川のビルをバックに

先週は寒さに挫け、サイクリングをバイクに変えたので、今日こそは銀輪にまたがるぞ! と朝から密かに決意。幸いにも昨日降った雪があまり残っておらず、かつ青空なのでサイクリングに出かけることにした。最後の目的地は、70歳代から絵筆をとり1961年101歳で亡くなるまで愛したものだけを描き続けたアメリカ人のグランマ・モーゼスの企画展をやっている世田谷美術館。走り出すと昨日の大寒波は嘘のように、今日はさほど寒くなく、多摩川に出たところで川沿いをもっと走りたくなった。冷たい風に頬が冷やされながら多摩川の土手を下流に向かって走りはじめる。海の前に立った時と同じように大きな空に包まれると、無駄な頭の回転を止め、私を心の感じだけにしてくれた。疲れたら自転車を止めて休憩。嫌なことを忘れるには、自転車かバイクで目的もなく急ぐことなく、ただただ走り続けるのがやっぱりいちばん。

世田谷美術館は、本当に久しぶり。10年以上ぶりかも知れない。前来た時、何を見たか覚えていない。いつも車で来てたので、自転車で来ると入口などの場所がピンとこず、少し戸惑った。グランマ・モーゼスの絵は、ほとんどが風景画だったが、風景画ではないなと思った。絵を観てると、つい部分部分の描写に目を凝らしてしまい、私は全体を観て全体から感じとろうとはしなかった。きっと、モーゼス自身も光景の全体のバランスや構成に感動して、それを描き止めようとしたのではなく、目の前に広がる光景のひとつひとつの部分、それは畑、山、作業する農夫、農婦、遊ぶ子供、牛、馬、鶏・・が好きで好きで心から愛し、その部分のひとつひとつを愛しく描き足した結果が一枚の風景画になったのだと思う。だから、全体からのひとつの感動ではなく、部分部分からの感動の集積が凄い一枚の絵で、もし生活画や人生画なんて呼び名があるとしたら、そんな呼び方がフィットするような絵に思えた。なんか先週に続いて今日も癒されたなあ、よかった。

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