今日は昨日の大雨が嘘かのように晴れ渡った晴天。次の寺、第三十七番岩本寺まで行く予定だ。宿泊も岩本寺で、いわゆる宿坊にお世話になる予定。宿坊は初めてで楽しみだ。朝、国道を上る大坂遍路道を上っていく予定をしていたが、宿の女将さんから、昨日の大雨で道が厳しくなっている可能性があるので、そえみみず遍路道を上がった方が確実だ、というアドバイスをいただき、急遽変更してそえみみず遍路道を行くことにした。
そえみみずの遍路道は江戸時代から使われている道だ。みみずのように曲がりくねった道を沿って歩くところから名前がつけられたようだ。幅1.5メートルほどの道が続く。山の尾根には出ず、中腹あたりをずっと山を分け行って奥は奥へと続いた。いちばん初めに、いつまであるのかと思うほどの階段を登らされたが、その後はなだらかな坂の登りで山に分け行った。5キロほどの道だったが、鳥の鳴き声を聞きながら、山と一体となった感じで江戸時代のお遍路さんにも思いを馳せて歩いた。いい遍路道だ。登り切った所は七子峠。登り切る手前で初めてこの遍路道で人と出会った。そのおじさんが言っていた、峠の上から見晴らしの良いところがあるとのことで、そこへ行き、海を見た。残念ながら、室戸岬までは見えなかった。その峠にはななこ茶屋があり、今度はそこのおじさんからお接待するので来て下さいと言われた。茶屋に入ると営業はしてないようだったが、熱いお茶とミカンの皮で手作りしたジャムとビスケットの接待を受けた。美術の先生をなさっていたようで、今、地元の方の作品展を開く計画の話を聞いた。
この後は56号線と並行するように進むお遍路道を歩いて下り、途中からは56号線をJR土讃線に沿ってひたすら歩いた。日差しが厳しく、暑くて日陰を求めて歩く。人生の畳み方を考える、といった文が遍路道に書かれていた事を思い出し、確かに自分もこれまで広げ方ばかりを考えてきたが、畳み方を考える歳なのかも、と思えた。休憩所を発見。日陰でゆっくり休み、コンビニで買ったものを昼食として食す。畳み方か、などと思い目をつぶると、寝てしまった。多分数分の睡眠、でも気持ちいい。再び歩き始めると、道路に影野駅の表示板。それに従って駅に行ったが、無人駅でトイレも無かった。ま、こんなものでしょう。日差しは手を緩めない。だいぶ今日の目的地、窪川の町に近づいてきた。と、目の前の歩道にデカいミミズ。30センチはある黒いミミズだ。四国のミミズはこんなのだろうか。だいたいが大雨の日、ミミズは道に出て来て、翌日、土に戻れないままのものがいる。雨をいいことに大きく移動して、新たな地または別のミミズとの出会いを求めてのことなのだろうが。今日歩いて来たそえみみずの遍路道が良かったこともあり、周りの雑草からしっかりした茎を折り、それを使い、このミミズを土のある場所へと移動させた。
ミミズ助けをして、窪川の町に入った。この街並みも古い歴史を感じるものだった。その中を歩き、やっと岩本寺に到着。寺への到着が宿への到着と同時になると、達成感と安心感が合わさり、これはいいものだった。お寺の階段には英語が書かれ、仁王門の側面にはポップなイラストが飾ってある。境内にも椅子に英語が書かれていたりする。自由な感じがした。何ものにも囚われない自由。煩悩滅却。だから、分け隔てなく皆を受け入れてくれるお寺、敷居の低いお寺、そして救ってくださるお寺、というイメージを受けた。いいお寺だ。翌日の朝、本堂に入って朝のお勤めを住職さんと一緒に行うのが、宿坊での習わしのようで、本堂に入った。なんと、本堂の右前にはピアノが置かれている。左前の仏像と同等にだ。天井にはいろんなポップな絵が描かれていた。ご住職のアート志向もあるんだろうと推察される。そう言えば、読経においての太鼓の叩くリズムも激しいものを感じた。でも考えてみれば、アートもある意味、煩悩から自由なんだから、同じだ。私はこのお寺に優しく抱かれている感じを受け、安心し、好意を持った。宿坊の部屋は綺麗で、真後ろには直ぐに土佐くろしお鉄道の電車が走った。これもポップだ。山門の後ろに鯉のぼりが風に泳ぐ、見ているだけで嬉しくなってくる。
今日の歩行距離は24255m、歩数は34656歩。山門に鯉のぼりは合う。