今日は安芸を後にして西へ15キロ、第二十八番大日寺に向かう。天気は晴天。暑くなりそうだ。安芸の古い町並みを歩いているとお好み焼き屋を発見。JR安芸駅前にも大きなお好み焼き屋があった。抜けてしばらくすると右手に大きな体育館が目に飛び込んできた。阪神タイガースのキャンプ時、雨天の時に練習場所とする体育館、安芸ドームだ。さっきのお好み焼き屋と繋がった。タイガースがお好み焼き屋を普及させたのだ。我ながら、ちょっと無理がある推理だ。そうこうしてると今度は左手に安芸漁港が見えてきた。何か活気を感じた。何の水産物が中心なんだろうか? 55号線とは並行しながらもお遍路の道は続く。
今度は畑や田んぼだ。温室がたくさん作られていて、中を見るとナスだ。しばらく歩くとネギのようでネギでない苗がたくさん植えられていた。畑にいたお兄さんに少し尋ねてみた。ニラという事だ。なるほど。ニラは根が分割してどんどん増える。「ハウスの中もそうだよ。これから西の畑はニラが増えるよ。ニラは高知県が日本一だ」とのこと。この辺りの田植えも早く、すでに30センチは伸びている。
お遍路道が少し街中に入った。暑い中、少しずつ頭がぼうっとしてきた。そこに電信柱に結びつけられた不思議なビラが目に入った。真っ赤な地色に「蔵の穴」という言葉が入ったビラだ。そして、その電信柱の手前には細い路地がある。まさにアリスのウサギの穴だ。大好きな路地に入り少し曲がると、そこは賑やかな雰囲気だ。右手には旗印がたくさん上がった芝居小屋「弁天座」が、左手側には「絵金蔵」と書かれた建物がある。ここ香南市赤岡町には、明治にできた芝居小屋がここにあった。昭和の頭まで毎日のように公演があり、多くの人が押し寄せたようだ。その後、すたれたあと平成に興業の新たな発信基地として小屋がら作られてスタートしたようだ。市川海老蔵さんの芝居も打たれたようだ。その日も芝居が開かれていた。そして向かいにあるのが、赤岡で絵師として大活躍した金蔵の記念館でした。ふたつが向かい合ってるなんて、うさぎの穴の先には寺山修司の世界があったようなものだ。入場料を払い、絵金蔵の中に入りました。絵金は、30年ほど前に古本屋で見つけ、購入した絵金の写真主体の企画本で、その存在を知っていました。今回、説明を聞くと、実際の絵は、胡粉の入った髪がチラチラと動くように見え、ニカワがまざつた人の白目は動いているように見える、というのです。本物の絵を暗闇の中、ロウソクの炎で照らされてみると、そう見えるのだそうだ。絵金が昔、芝居小屋が盛んだった頃、その芝居の興奮する場面を何枚も、この赤岡で血をグロテスクに描きながら絵にしたのが金蔵でその絵を絵金と言った。昔、赤岡の町の道でロウソクの炎でそれらの絵を展示した。その習わしを復活させ、毎年7月に実際に赤岡の町と須留田八幡宮で、本物の23点の絵金の芝居絵を使って炎での展示をやるようだ。見たい!また、来なければならないところが増えた。夜、街の家の前に並べられた絵がロウソクの炎で揺らぎながら照らされている、そして絵の中の人は黒髪をふり乱し、目玉が動く。見るしかないです。赤岡の町を過ぎて約5キロ、大日寺の入り口に着いた。正直、そのあとのお参りがあまり記憶にない。暑さにやられ、気を失いかけていたかもしれない。とにかく大日寺を終え、その目の前にある宿、民宿喫茶きらくに入った。誰もいないが、予約時に聞かされていたので驚かない。部屋番号が書かれていたのでその部屋に入る。そして、風呂の湯を張り、洗濯もする。風呂から上がり食事だ。喫茶店の方に行くと女将さんが用意をしてくれていた。凄い量のおかずだ。食べれるだろうかと心配したが、大丈夫、食べきった。食べている途中、女将さんはピアノを弾きながら歌ってくれた。歓迎、ウェルカムソングだ。最後にお遍路さんを励ます歌を作ったと言い、その歌を自ら歌って聞かせてくれた。正直、いい歌詞だし、いいメロディ、唄も上手い。私は癒され、眠りについた。
今日の歩行距離は28073m、歩数は40112歩。お遍路さん励ましの歌は最高!